綺麗事だけで生きていけたらどんなにいいんだろう
私は綺麗事が好き。
心の中に置いておくだけで自分がまるで良い生き方をしているような気持ちになれるから。
良い生き方、なんてものがあるのかわからないけど。
私たちは社会という集団の中で、へその緒から切り離され名前を振り分けられ、生まれ落ちた環境の中、手元にある限られたカードを駆使して生きていく。
幸せを得るためにはお金があった方が良くて、そのお金を得るためには自分という商品の値札を少しでもあげなければいけない。まるでスーパーに陳列されたあの商品のように。
人は人と比べると不幸を感じやすい。あの人の方が多くを持っているとか、あの人はずるいとか。
だから幸せになるためには誰かに認められようとせずに自分をとことん大切にする必要がある。だけど、結局自分を大事にするためには余裕が必要で、その余裕の裏には色々な背景がある。
例えば親に殴られながらとか、寝床や食事を探しながらとか、深い悲しみの中にいながら自分を大事にすることが出来るほど人間は強くできていない。
綺麗事の中で生きていきたいけど、私は綺麗事を正しい、と少なからず思えるほどの安全圏に生きていられるだけなんだと思う。
だから考え事を突き詰めて結果綺麗事に行き着くと、一体これにどれだけの価値があるんだろうと思う。
綺麗事だけで生きていくにはこの世界は悲しみが多すぎる。だけど綺麗事だけで生きていけたらどんなにいいんだろうと思う。