どんな精神状態でもやっぱり気づいたら文字を打ってる。言葉が好きなのか、言語化依存症なのか。流れてく感情を書き留める娯楽は飽きることがない。

 

単刀直入にいうと、今、ほんとにたった今、1分前くらいから、なぜか身の回りの人の全員の嫌なところだけが見えて全員が嫌いになっている。

心が不健康なのだろう。嫌い、悲しいという感情はその人の世界が狭い時に起こる現象だと私は頭ではわかってるはずだ。

 

試され、騙され、都合よく扱われ、周りにロクな人がいないように思えてしまう。あの人もあの人もあの人も、気持ち悪い、とわざわざ思ってしまう。心の中に濁った煙が外にでていかずに渦巻いてるようだ。苦しさよりも悲しさに近い、でも悲しいと振り切れるほどこの感情の純度は高くない。

 

こうやってダラダラと書いて気を分配しなきゃ負の感情に流されそうだ。

 

今見えてる人間がちょうど自分のレベルだ。と思うともう人生をやめたくなるな。

 

そういえばツイッターで死にたいという言葉やその他暴言が禁止になった。

言葉を規制して感情も自動的に消えるなら、どんなに楽か。

 

私はいつも今が一番幸せで、いつもうっすら死にたくて、なんだか妙に焦っていて、漠然と退屈で、しっかりと孤独だ。

これがもう2年。 いつまでこの感情と手を繋いでいればいいんだろう。

 

一時的に満たされてもすぐにコップの中の水は蒸発して、満たされたぶんだけコップの中に虚無がひろがっている。

 

だれか、と言いながらもう期待するエネルギーすらも惜しんでる自分がいて。

 

死にたいと強く思えるほどの執着すらなくしてしまったような気がする。

ギラギラと、人生を自分のものにしようとアンテナ張って生きてたころのしんどさも、今の暴力的な無気力感で全てが嫌になるしんどさも、全部なくなればいいのになぁと思う。

 

いつかは、綺麗になって、ちゃんと自立して今の生活なんて忘れてるかなぁ。

ちゃんと生きていけるのかなぁ。

いつかの私は言葉よりも頼るなにかがあるかな。

 

一体なにが幸せで、そしてその幸せの正体がわかったところでどうしたらいいのか、本当にわからない。

 

少し気が紛れた。

誰に読まれるでもないけどさ。いつもメモ帳だけど今日はブログにしてみた。

うん、相変わらずの破茶滅茶な文章。

 

お風呂にでもはいって寝ましょうかね。