「なぜ君は総理大臣になれないのか」で号泣した

 

普段家で1人でいるときには泣くことはあっても公共の場で泣いたことは指で数えるほどしかない。

 

映画館で泣くことはほとんどないが、この映画はなぜか意味がわからないほど泣けた。

苦しくて、無力で、はがゆいのだ。そして、ある意味でとても悲しくて、眩しい。希望と絶望のアンビバレントな感情に心のコップがいっぱいになって溢れ出すように泣けてしまう。

 

私は右とか左とかのいわゆる政治思想はない。なにが真実で、なにが間違いで、どういう状況で、というものを全て把握できているわけがないと思っているので、自分はそもそも真っ当な判断ができる立ち位置にいないと思っていて、選挙には行くものの、これまで自分の一票が正しいと確信したことはなかった。

 

この映画はドキュメンタリーで、タイトルからして総理大臣を目指すのかな?と思っていた(完全に無知の状態で観た)。

しかし彼は最後の最後まで、葛藤し、言葉を選んで、「総理大臣になりたいですか?」の質問を反復し、「わかりやすさ」よりも、誠意への細かいチューニングを優先させていた。政治家としての成功の最大の足枷となっている不器用さを切り捨てられないことはもう才能だと思う。

 

私は、この映画はもっと、もっと多くの人に見られるべきだと思った。

なぜなら「なぜ君は総理大臣になれないのか」の原因は、「君」(主人公)ではなく、私たち側にあるということを痛感するのだ。

 

私は街頭演説に立ち止まらない。ちらしももらわない。街中の政治家は、自分の名前だけを連呼する、「そういう景色」だった。

じゃあこれから関心をもとう、と思ったところでやっぱり続かないことは目に見えてる。

なので、少しずつ、少しずつ関心を寄せて行こうと思う。

自分のため、未来のため、とかではなく、ただただ、報われるべき人に報われてほしいから。