性格って、徐々に変わると思ってた。

お湯が段々と冷めていくみたいに。1秒前と1秒後の違いが全くわからないのに10分後だとわかる、みたいな。緩やかに、でもたしかに変化せざるを得ないと思っていた。

 

でも、私は昨日と今日で性格が変わってしまった気がする。

恋愛によって変えられたとか、ある本に出会って雷が落ちたような感銘をうけて変わったとかそういうんじゃなくて、

なんというか、今まで信じてきたものや言葉が他人の短冊の願いみたいに「たしかにそこにあるけど関係のないもの」になってしまった感覚。

 

すごく真面目に人生について考えてきた。

私の強みを活かして社会で働きたい、誰かの役にたちたい、誰かの役にたってない自分なんている意味がない。

人生の最大の目標が「自立」、正しいことだけをして生きていきたいと心から思った。

 

でも、どうでもいいよねって笑える友達ができて、生活の前後から切り離されるような絶望にも似た幸福を与えてくれる人と混ざって、なんだかもっと投げやりになっても大丈夫、傷をおそれるくらいなら、傷ついたことに喜ぶ変態になってやろうって思ってしまった。

 

「世間一般での幸福の形ではない幸せもあるのだ」っていう言葉すごいすき。

 

人生ゲームのコマを一個すすめたというか戻ったというか外れたかんじ。

かつての自分の悩みの渦中にいたコマを俯瞰してみると、自分が思ってたより純粋だったのかなって思えてくる。

 

これからこうやって同じ人間なのに価値観が変わっていくのかな。

セテウスの船じゃないけど、ちょっとずつ価値観がかわって過去の自分じゃなくなっていくと、自分ってなんなんだろうという初歩的な哲学に舞い戻る。

 

 

 

久々に無計画の散文。

前の日記から変わったことといえば、フォロワーが30人程度だったのが突然1700人を超えて(!)、独り言みたいなツイートが10万ファボをこえて(!)、私は19にして「女」になって(!)、そして7年ぶりに父親と一緒に住むことになったりした。

 

学校に毎日行く生活がなくなって4ヶ月が過ぎた。

家にいたり、バイト先にいたり、映画をみたり、まるでのんきで、毎日が日曜日の昼間みたいだと思う日もあれば、夏休みの最終日のようないいようのない焦燥感に包まれる日もある。

 

お正月に買った日めくりカレンダーは6月の上旬でめくられることを忘れられ、部屋にはペットボトルが転がってたり、読みかけの本が寝ていたり、カーテンは閉めっぱなしで1日が過ぎる日もあったり、つまりはそういうことだった。

 

怠惰で、退屈で、ただ時間が流れてる世界にぽつんといるだけの私に与えられている若さは、もはやなんの価値もないように思えた。

 

夢をもたなきゃ、お金を稼がなきゃ、あれに応募しなきゃ、あれをかかなきゃ、こんな人間にならなきゃ。

 

義務って、人を追い詰めるためにあるのかな、なんて都合のいい被害者意識が一瞬風になびく。

 

自分のなにが人を喜ばせるのかいまだにわからない。

 

まだ私はホームで、どの電車にのるか迷っていた。はやく決めなきゃ、電車に乗り遅れてしまう。てかそもそもチャージ、足りるかな。どの電車にのってどこで降りればいいんだろう。

全くなにもわからなくて、ただ静かに混乱しては何かをした気になっている気がする。

 

そんな夏。

 

 

 

AKB総選挙という不思議なイベントの季節がやってきた。

 

テレビは見ないので、ツイッターに流れてくる情報を適当に眺めていた。

 

20歳の女の子が、結婚発表をした、という話題でもちきりだった。

真面目に頑張ってきたまゆゆがどう、ファンを裏切ったからどう、さっしーがどう、と全く知らない人たちの、様々な感情を言語化されたものがくるくると入れ替わりたちかわり私の目を飽きさせずに踊り続けてくれる。

その中でひとつ気になったことが、

大島優子が「FUCK」とかかれた帽子に気持ちを代弁させた、というのをみた。

 

私はアイドルのことを全く知らないし軽率に物申せるほど関心もないので、これは誰の肩をもつとかの問題ではなく、

単純に得体のしれない嫌悪感に襲われた。

 

悪意のある、それ。つまり、笑いと最も相性の悪いのが悪意だと思うのだが、大島優子は怒りをぐにゃりと悪意の形にしているように見えた。(大島優子自体は好き。ここでテーマにしたいのは誰かを貶めるときに発動する誰しもの内に眠ってる悪意そのものについて。)

FUCK(こういう言葉自体ほんとに好きじゃないから実は本当に打ちたくない)、という直球な歪み、それを爽快と捉えてる人も勿論いたとは思う。そういう人は爽快に思っていればいいんだと思う。

 

しかし、自分の心のうちに思い当たりがあるからか、誰かを憎んでその発散方法として悪意をこれでもかとこめて笑いながら意図的に傷つける、この醜さに自分で驚いたときの恥ずかしさを思い出して、大げさにいうと苦しくなったのだった。

 

品がなく、醜い。人間としての致命傷であり、と、同時に誰でもなり得る状態なのだ。

 

私は、自分の中に眠っていて、突然発作のように飛び起きる悪意の怪物に怯えている。もしもある日目覚めたら、どうあやせばいいのかわからない。自分の中なのに、コントロールがきかないのだ。

 

許せない。あんなやつ不幸になればいいのに。信じられない。憎くて仕方がない。いっそ消えてほしい。そんな、衝動にも近い、負の感情が、さっき死んだばかりの動物の内臓のように生々しくドロっとして、けれどたしかなリアリティをもって誰しもの中に潜んでいる。

 

私は悪口の一切を言わない人間になりたいし、願わくば悪意なんて誰に対しても抱きたくない。

 

私の嫌いなあの人もそれぞれ事情があるし、きっと私自身もそこまでなにかを恨むということは、その分なにかを大切にしていて悲しみの処理が追いつかなくなったということなのだきっと…と。(無論これはただの持論でしかなく、誰かに押し付けようと思ったりはしないし人からきく悪口は否定も肯定もせずただきく)

 

一向に話がまとまらないが、つまるところ今回なんとなく目にしたアイドルの結婚発表で、私は大島優子の衝動的な悪意を、自分の中にたしかにあるにも関わらず説明のつかない厭な気持ちーーそれは思春期の頃に女なのに、保健体育の授業で生理についてきいてるときのあの疼くような独特な柔らかい拒絶に似てるーーを感じてしまい、それを自分で納得いくまで文章にしようと思った次第なのだが、結局もやもやして終わってしまった。

 

そういえば金曜ロードショーでやっていた「インサイドヘッド」、本当に傑作だった。

 

もしも、悪意がキャラクターなら、一体どんな寂しいキャラクターなのだろうか。

そしてそいつは、必要なのだろうか…

 

 

 

バイト先の休憩室が好きだ。


扇風機の風になびく洗濯物に、日向ぼっこに最高なお昼の日差しの明るさが窓から差し込んでいる。私には誰も干渉しない。贅沢な退屈。閉塞とは程遠い拘束。
一時的な居場所、もしくは避難所。

 

幸せなときっていうのは、幸せが終わることに怯えてるときってことなんだよな、って言葉がこれでしょ、って漫画という媒体を通して私に微笑む。
そう、それ、って受け取る。

 

なにも怖くない。同時に怖い。心から安らいでることに不安になる。

 

思えばこの休憩室は、すごく病室に似ている。空気感といい、絶妙な人の気配と温度が。柔らかい隔離感が。否定もしないし肯定もしない。でも全く排他的じゃない。

 

プラスチックのゴミが空を泳いでた。

 

いつまでここにいれるんだろう。

期間限定の最高の居場所。

 

 

絵や文章を書き殴ってるときが落ち着く。

 

いつもほぼ毎日携帯のメモ帳やカレンダーアプリのメモ帳にかくけど、見られたら嫌だな。一番嫌だな。

 

宇宙の形がなんなのかわかんない。でも多分球状だと思う。

地球は球だし、

月も。

 

人間は多分鏡状の球で、「その人が見えてる私のこの面はあの人には見えてなくてあの人に見えてるこの面はその人には見えてない」みたいに、誰かにまるっと全部見せることって不可能なんじゃないかって思う。

でもいつもまわりの鏡で。でも鏡でうつしてるのもまた鏡で。

 

性欲。子孫繁栄のために生きるなんてきいたことあるけど本当にそうなのだろうか。結局人は「自分をインストールしてくれるなにか」を探しながら「インストールできるなにか」のオリジナリティを高めたいから葛藤するのではないか。

 

自分を空っぽにしたい、という欲。

真っ黒で。

真っ白。

 

結局人に与えたものしか自分じゃない。

でも自分は与えられた他人のなにかでしかできてない。

 

完全な、いびつな球状。

人に与えない秘密が私を生かす。与えるものが私なのに。

 

何億年をへて両親から生まれ、たったの数十年で死んで、そこからまた概念として表せないくらい膨大な時間が流れていく。宇宙からしたらコンマ何秒。神様なんていないよ、きっと。

永遠と錯覚するような一瞬の人生の中の、本当の一瞬の中に自分の永遠を見出して、ポケットにいれておく。

 

この世界は自分だけしかいない。もしくは、自分以外しかいない。

 

なにかいてんだ自分…

 

 

 

たまに心に直径数センチの完全な穴があいて、そこを風が通るたびに古い建物みたいにきしんで少し痛む感覚があるのがすごくさみしくて独特なつらさが好きで、でもそれって「みんなある」ことで、「みんなある」なことが嫌な自分が嫌で、私、いつだって誰かの満員電車の乗客だから、せめて絶望だけは私の色でいてほしい。

 

みーんなひとりぼっちで、でもみんなひとりであることに関していえば誰もひとりじゃない。みんな同じ。

テレビつければこれみよがしに正義振りかざす中年のおじさんコメンテーター、なんで生きてるんだろう。

 

こうしん。

 

更新だ、生きるというのは。行進だ、まわりに合わせるし。交信だ、コミュニケーションとるからね。口唇は、んー、ちゅーするから、ってこれは無理やりか。

 

なんで生きてるんだろう、って、これは哲学とか大それた悩みとかそういうんじゃなくて、あれだ、情動語?だ。

猫はにゃー、犬はわん、人間は「ナンデイキテルンダロウ」なんだ、多分。いや、ないか笑

 

退屈。幸せ。なにもないけど。

 

この前みた映画「リリイシュシュのすべて」の青い閉塞感がなんとも最高だった。あの後味の悪さ。と、同時にある爽やかさ。吐き捨てられたミントのガムみたいに。

 

それをみて思い出した、おやすみプンプン

っていう漫画もすごく好きで、漫画は一冊ももってないし買うとは思わなかったけど全巻揃えたいなぁと思ってる。登場人物も世界観も大好きなんだけど、特に主人公のお母さんが好き。不器用で、繊細で、どうしようもなく不安定で。孤独とか虚無感とか絶望とか切なさとか、花火にしたらどんな色なんだろう。

 

クリープハイプのヴォーカルがかいた本もそういえばこの類で好き。クリープハイプのヴォーカルの声、すごく好き。

 

みんなの神様的な絶対的なものってなんなんだろう。

真夏、はしゃいでホースで水を出した時にみえる虹を掴んだ、あの感触。触れられないのだ。きっとずっと。