妄想の雨
若松英輔さんの言葉で、
「美しいものを見るたび、君にも見せたい そう思ってきた
でもきっと見えない君と一緒だから美しいのだと思い直している」
という素敵な言葉があって、この時期の雨に濡れた紫陽花に似合うなぁって勝手に思っている。夜桜にも似合う。
この雨が、布団から出たくないとごねる夏の手を引っ張って連れてきてくれているのだろう。
夏が本領を発揮してきたら、もうこれで自分の役割はおわったんで、次は秋を連れてくる時に会いましょう、また様子みにきますわ、ってどっかに行ってしまう
だから勝手に雨は、しっかりものだけどどこか寂しがりやなキャラクターとして私に擬人化されている。
文章にして振り返ると、22歳にもなって頭の中がメルヘン過ぎてどうしよう。もうこればかりはどうしようもないか…
メルヘン、続きます。
そういえば最近、バニラアイスに赤ワインをかけると1人で勝手に自動で幸せになれることを発見した。
多分、ホットワインにして、アフォガードみたいに回しかけたほうが美味しいんだろうなぁ
ネットで調べたらもう既に結構有名だったみたいで、「背徳の味」と言われていた。背徳、食べたことあるんですか
って聞きたくなったけど、その表現がぴったり合うことを認めざるを得ない。
こっくりとしたバニラアイスに、湯気だけで幸せになれるようなホットワインを回しかけて、硬いジンジャービスケットと食べたい。
今日みたいな雨の降る日に、自然に囲まれたコテージとかで。木と雨の匂いで身体をいっぱいにしたい。
きっとそこは、お昼なのに雨のせいで薄暗い。ラジオから誰かがリクエストした音楽がかかってて、不機嫌な目つきの猫がいてほしい。灰皿にはタバコの吸い殻が何本かあって、あの男が雨の音にあやされて死んだように無防備に眠りこけていて、私は即席の背徳に優雅にスプーンをつける…
まで妄想して、あ、またどっかいってた、ってなる。
ほんの少しのことが引き金になって、私の意識は気づいたら妄想の泉に肩まで浸かっている。
生産性のない、意味のない時間が心を休めてくれる。
引き戻された現実でちゃんと生きていかないと。
あぁ、社会人の着ぐるみ脱ぎ捨てたい。
来世は猫になって紫陽花に恋をしたい。
おやすみなさい。