正しい失恋だと思いたい話
恋をした。
きっと、この人と手を繋いで歩いていった先に幸せがある。そんな甘い無責任な観測が世界を一瞬で色づかせた。
しかし、のちにそれは間違いだったと知ることになる。よくある恋愛。だけど私には供養しきれず、ダラダラ深夜に書き綴ったのがこの文章である。
学生時代から女子ばかりの環境で育ち、人と付き合ったことすらない私がある日突然男と住むことになった。
男は私よりずっと歳上で、マルボロの18ミリを携帯し、チョコレートと仕事と人が死ぬ映画をこよなく愛していた。そして人混みと女の裸と野菜が嫌いだった。
女の裸に関しては、出ていった母親が家で全裸でキレながら殴ってきたという、遠目で見れば人生は喜劇で近くでみれば悲劇だという言葉がよく似合う理由で、私は彼と恋人っぽい全ての行為をやんわりと禁止され続けた。
本当は他にもなにかあったのかもしれないが、冗談っぽく笑う男の顔が悲痛の色で歪んでいた気がして、私は結局なにも聞けなかった。
野菜を毛嫌いするせいで食卓は全体的に茶色かった。
だけどミスドのチョコリングを買ってかえるとニコニコしていて、私にとってそれが全てになった。
男には不思議な魅力があった。
幼い頃から父親がいなかった私にとってそれは父性だったのかもしれないし、初めて感じる男らしさや恋愛特有の感覚だったのかもしれない。
ふとした仕草や電話の声、運転中の横顔や指の爪の形。
私が思ってた自分の好きなタイプなんてものは存在せず、
変形自在になった私の好きが一人歩きして男がどんどん私の中の心の座席のようなものを陣取っていく感覚があった。
つまり恋をしたのだ。こんなに強烈な感情であることを初めて知り、そしてそれは口にせずとも男に伝わり、付き合おう、一緒に住もうと話がトントン拍子で進んだ。
ちなみに、私の人生の観測史上最大の幸福がここに取り残されてまだ更新できていない。
一緒に住みはじめて、私は浮かれて、舞い上がっていた。
おかえりの声がうわずり、同じシャンプーの匂いに喜び、
天気のいい午前中に風に揺れてるカーテンを見てるだけで瞬間に押し寄せる幸福の濃度にクラクラした。
「好きって言ってみて」とはじめて言ったとき、「好き」と男はつぶやいた。
私の好きな低い声で。私の好きな口でそう言った。
そして、タバコを吸うために立つついでに雑に頭をなでた。
あぁこれから私、こんな瞬間を独占できてしまうのか、という万能感。
この方法以外でここまで満たされることはないと思った。
そして、この記憶が私の首を締め続けることになるとも知らず、押し寄せる幸せの波に呑まれていた。
味をしめた私は薬が切れたような感覚になり、また数日たって、「好きって、またききたい」と勇気を出して言った。
少しの沈黙の後「あんまり言い過ぎると良くない」と男は言った。
少し困ったように見えた。良くないなら、仕方ないかと思った。そして結局、あの時を最後に男が好きと言うことは二度となかった。
日常の中で、抱きしめたり、手を繋いだり、私が好きと言ったりするライトな愛情表現すら男にとって嬉しいものではないということがわかった。
手を払いのけて、ため息をついたりした。
そういうことが増えていった。
私は相変わらず好きだった。傷つきながらも、いつか言われた「嫌いだったらもう別れてるよ、一緒に住んでないよ。」という言葉をお守りみたいにして過ごしていた。
実際男は生活の全部をみてくれて、せめてこれくらいは出すといった光熱費も、結局一度も払わせてもらえなかった。
男の愛情はいつもどこかずれていた。
寒いから抱きしめてほしいというと電気であったかくなるベストのようなものを買い与えたり、クリスマスを一緒に過ごしたいというと、お店を予約しお金を支払った上で私と私の友達の2人で行かせたりした。
とにかく恋人っぽいことを薄く嫌いながら、男が定めた範囲の中で愛されているような気がした。
そういうわけで私には誕生日も、クリスマスも、ホワイトデーも無かった。
女が記念日を大事にしてしまうのは、きっと男にとって喜んだ顔がみたいと思われているか、いないか答え合わせができる日だからなのだろう。
喜ばせたい女こそがその男にとって価値があるということをどこかでわかってしまっているのだ。
私はいちいち記念日があるたびに、女として大きくバッテンをもらった気分になった。
そして、そういう事があるたびに、もうタバコを吸うついでに撫でられなくなったこと、名前を呼ばれなくなったことをふと思い出してしまい、心に冷たい風が吹き込むように悲しくなった。
ひとりぼっちのさみしさと、誰かがいるからこそ感じるさみしさとの違いを天秤にかけ始めている自分がいた。
幸せな記憶の中にいる私が私を苦しめた。
一番近くで独占できると思った愛し方が、いつのまにか一番遠くなっていた。
そういう日が何日も何ヶ月も続き、これは、もう冷められていると思った。思ったというか、随分前から見ないようにしていた自分に気づいていた。きっと男の気持ちが目に見えるなら、それは水みたいな形をしているのだろう。だから縄では縛れない。縄をぎゅっと握る自分の手を離す勇気をもたねば。握った縄の先になにもないんだから。
恋愛というリングの上では、人は人を魅力でしか縛っておけない。その危うさと不確かさに溺れたことは自分が一番よくわかっていたはずだった。男と女に義務なんか生じ得ないという言葉を、自分に言い聞かせるように思い出していた。
ある日、仕事から帰ってきた男は私にスマホのケースと、たくさんの梨(私は梨が好きだと伝えてあった)をくれた。
びっくりして、本当に嬉しくて、思わずどうしたのときいた。男はなぜか笑っていた。私の好きな目に皺をよせて。私の心は切なさに濡れた。心からの嬉しさと、これまで蓄積されたさみしさが溢れかえって感情がぐちゃぐちゃになった。
気づいたら私は子供みたいに泣いてしまった。すごく嬉しいのに、いつもさみしくてどうしたらいいのかわからないと言った。どこにそんな涙があったんだよってくらいアホみたいに涙が出てきて、これは病気だ、完全に病気以外なにものでもないとどこか冷静な自分が思っていた。
男は抱きしめるでも、励ますでもなくただ泣き止むのを待ってくれた。正しい対応だと思った。ここで抱きしめられたら泣いたら抱きしめてくれると学習してしまい、泣き虫になってしまうところだった。
長い沈黙が続いて、外の車の通る音ひとつひとつが妙にうるさく感じた。
「恋人としてみれないんだ」と呟いた。「家族として、って俺は考えてる。だから、冷めたとかではない。恋人として見られるたびに、すれ違ってると思った。」と、俯きながら、一言一言をゆっくり捻出していた。
直接的なスキンシップや、言葉でしか満たせない部分がある私と、生活を共にする人間と恋愛感情を挟みたくない男の間には深い溝があったことをその時初めて知った。
私はずっと柔らかく失恋し続けていた、という事実に対し、ショックを受けるとともにどこか安心していた。
やっぱり私はどこにも繋がっていない縄を握りしめていただけだったんだと再確認した。
数日間塞ぎ込んで、ぱたりとお弁当もご飯も作らなくなり掃除もしなくなった私に、男は何も言わず毎日コンビニでご飯を買ってきてくれた。会話のない食卓に、テレビの中の遠い笑い声と、乾いたビニールのかすれる音だけが響く日が続いた。
どうするべきか悩んでいた。私は好きだという事実と、この惰性でつなぎ合わせた毎日はかつての幸福な思い出にたどり着くことは一生ないという事実の間で揺れていた。
そしてそれも、かつて私の好きが伝わったように男に伝わっていった。
そして一緒に住むのをやめよう、別れようという話がまた、かつて付き合った時のようにトントン拍子で進んだ。
私は自分の中の一部が無理矢理引き剥がされる感覚に、別れたくないと泣いたけれど、心の中ではもうそんなことになんの意味もないことはなんとなくわかっていた。
元々合わなかったふたりが、合わなかったということに気づくまでの幻のような時間だったのか、価値観を擦り合わせて一緒にいる方法がなにかあったのかは今となってはわからない。
会わなくなって、連絡もとらなくなって何ヶ月もたった今も、なにが正解だったのかずっともやもやしている。でもすっきり忘れたいとも思わない。
自分は間違っていたと思う。
気持ちを押し付けるべきじゃなかった。
ましてや相手の事情を知ったうえで、無言で責め続けるような空気を出すべきじゃなかった。だから私の振る舞いは間違っていたのだと思う。
でも、これはきっと正しい失恋の仕方だと思いたい。
江國香織「すみれの花の砂糖漬け」