20年生き抜いた人間のみがその年だけ行く資格をもらえる、恐ろしい行事その名も成人式に、なんと明日、いけることになった。

気付いたら20年生きていたということだ。まぁよくよく考えると当たり前のことなのだが、「20年」というまとまった数字になると途端に現実味をなくす。

 

成人式に対するイメージは、騒ぎ立てるモヒカンの全裸、もしくは人間の耳を壊すために作られたうるさい車。そしてきっとその車には落書きとして「霊柩車!」など漢字でシンプルに不謹慎な言葉が書き殴られてるはずだ。こわい、成人式。しかし行く。「せっかく」の四文字におされ、私は明日…未知の世界に…ごくり。

 

そして、それよりももっと恐ろしい、おぞましい行事その名も同窓会に、なぜか参加することになった。「同窓会には行かない」そう言い続けていた数年間は一体なんだったんだろう。

 

「中学時代」という自分の体に合わないサイズの檻の中で各自不恰好に呻いてた時代をともに過ごした人間と5年の月日を経て一緒に食事をしようだなんて悪趣味きわまりないことを思いついたのは一体どこの誰なのだろう。

 

少なくとも私は地元の駅を通るときや街にでるとき「できるだけ自分を知ってる人に会いませんように」と思いながら歩いている。

それなのに、同窓会。なぜなのか。

 

最大の理由は、出欠席のラインができなかったことだ。指、主に親指の可動域がそのラインを送るとなると「0」になってしまう。可動域0。一体なにが私の親指を硬直させたのか。

 

幹事が、同じクラスだった男子だったのだ。しかも、なんていうかキラキラしてる、わかる?あの男子。インスタグラムのハッシュタグを乱用し、お洒落な投稿をしたと思えば次の投稿では「地元卍」、かと思えば可愛い彼女を連れた匂わせ投稿。完全に「完全版男子大学生」、ローマ字で打つと「kanzenban-dannshi-daigakusei-kirakira」である。

 

高校時代マスクをつけ登下校し、今なお最寄駅では俯いて歩く私にとって、出欠席だろうと個人的なやりとりはなんだか気が進まなかった。(女子校女子大なので免疫もない)

 

ラインしようと思ってもできず、「連絡してないし死んでることになってるかな!欠席だよね」と信じていたのに、最近きたラインが「同窓会出ることになってるよ!当日よろしくね!(爽やかな絵文字とともに)」。

 

その後のグループチャットでの「今からのキャンセルはキャンセル料かかります!」

 

なにかわからないけど、なにかが「お前、同窓会でとけよ」って言ってるような気がした。

もうでるしかねぇ。

私の最も苦手とする人たちの中に、お金を払って飛び込みに行く。エキサイティングな苦行。妙な高揚感と淀んだ不安。たかだか同窓会が、クソゲーのラスボスのようなしょぼい、しかし圧倒的な存在感を出している。

 

無論ドレスなんてもってるはずがなく、ZARAで1900円まで値下げされた「いやこれはさすがに普段に着れないだろワンピ」を買い、試着。

うん、めちゃくちゃ気合い入れて美術館にきた人みたいになってる。大丈夫だ。みんなきっとよくわからない格好でくるだろうし。

 

20歳。

もう子供には戻れない、なんて、張り切っちゃうくらいは子供で。

大人だと思ってた幻想が、陽炎のようにいつもつかめず、いつだって少し先にいる。

 

私は永遠に大人にはなれないのだろうか。けれど、いつのまにか子供でもなくなっていて。かといって「子供と大人の中間!」なんて10代みたいな甘酸っぱさ漂うことも言ってられず。

 

久々にふざけ倒した文章かいてしまった。

もう明日もはやいし読み直さずに投稿しちゃえ。