読み返せないやつ

 

最近考えることがNHKとかでやってそうな「みんなで考える社会問題」(※そんな番組はない)みたいな感じで、なぜそうなったのか自分でもわからない。

 

ただ、自分でもわからない中で、自分の中ですごく重要視していることだけはわかる。

 

例えば、同性婚が認められてないことが私の中でずーっとモヤモヤし続けてる。

 

かといって、同じ考えの人を探し出して「そうだそうだ!」って共感して思想を強化したところでそれが直接なにかに結びつくかと言われると難しくて、こうやって言葉にして発信したところで「私は赤色が!好きです!!」くらいの力なのが悲しいというか、民主主義の「民」って一体誰なの?優しさのない資本主義がたどり着くところって一体どこなの?(大袈裟)ってなる。

 

そもそもこんな当たり前の権利を「国の偉い人達」に乞う必要があることが違和感で、わざわざ弱者が日常を犠牲にして声を上げ続ける労力が当たり前な時点で国会はもう全部zoomにして国会議事堂を遊園地にでもしてしまおうって思ってしまう。

だって当たり前の権利に声あげてる時間でその人美味しいもの食べられたかもしれないし。

 

たしかにこれまでの歴史をみれば、選挙権ですら人が殺しあって誰かが勝ち取ってくれたもので、なにかを得るためには声をあげなきゃいけないのもわかる。

過去の人々には感謝した上で思う。それが当然なんじゃなくて、過去がおかしいって風潮にいつなるんだろう。

 

人が生きて死んでいく上で、一人で生きる人もいれば、パートナーと日々を重ねたい人もいるのは当然で、その権利がある人とない人がいることって変だなって思う。

 

まぁ、おかしいおかしい言ったところで何か変えられるかというと変えられないんですけどね……

 

 

同性婚とか黒人差別、女性差別とかって「認めてあげる」「差別しないであげる」みたいな「優れてる我々の、やさしさの上に成り立つものだけど優しくしようかな?どうしようかな?」みたいな考えが基盤にある以上絶対根本的な解決は無理だろうなって思う。

 

もしも、多様性がなにかの足枷になるなら、それは多様である外側に問題があるんじゃなくてそれを受けいれられない内側にこそ問題がある。それが個人であれ、社会であれ。

 

そして、多様性を受け入れたとき、人はきっと豊かになれる。そうやってアップデートして見える景色が変わることを贅沢っていうんじゃないかなって思う。

そこにたどり着く人は「してあげよう」ではなく、「学ばせてもらった」の域にいるとおもう。

弱者という立場に追いやられてる人たちからこそ学ぶべきことが沢山ある。これは、権力や地位のある人にこそ知って欲しいこと。

弱者という立場になるまでの過程について真剣に考えることが自分自身の人生や生き方への肥料になる。これ、権力のある人に届け…!(無理だよ)

 

↑社会問題について考えてると綺麗事と諦めの巡回バスと化してしまうのって私だけですか

 

 

私は権力もお金も人脈も影響力もないから、社会問題に関しては自分の価値観の答えあわせや思考実験のように使ってる部分もあって、解決するために具体的な手立てを探そうともしていない。デモや署名などには懐疑的ですらある。

 

私にとって正義って何種類かあって、何も解決しないただ熱いだけの気まぐれみたいな種類の正義がある。それがあるせいで、正義全体にうっすらとした嫌悪感がある。正義は時に人を盲目にする。だからまといたくないな、って思う。

 

きっと正義感だけで解決する問題ならもうとっくのとうに解決してるんだよね。

これもなにかきっと、あっちを立てればこっちが崩れる的な問題があって、私に見えてないだけかもしれない。

 

でも、マイノリティの人が幸せになるチャンスが理不尽な理由で少ないのはやっぱ変だ。とにかく生きる上で誰しもが環境や好きな性別で左右されず同じだけの選択肢を持つことができたらいいなって思う。傲慢な願いだけどそれが全て。

 

だから私に出来ることって、ひたすら政治家のマニュフェスト調べて投票する、関わる人がマイノリティだったとき、せめて自分といる間は不便な思いをしないように気をつけるくらいしかできない。

 

 

……気づいたら2:30でハッとした。

独り言のつもりが夜中の独り言の主食が私の貴重な睡眠時間になりつつある。

 

というか、なんか、思想強いなぁ…。文章のカロリーが高いというか消化しにくいというか。

 

武井壮のツイートとかたまに流れてくると、「正しいけど、思想が強い人だな…」って思って引き気味でみてたけど、今日の自分思想が強すぎて夜中の今ですら若干引いてるんだから明日の朝とか怖くて読み返せないわ…。