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大の苦手だったコーヒーを克服したことをいいことに、やたらコーヒーばかり飲んでいる。
生まれて19回目の秋にして、カフェイン中毒ぎみ。
なんというか、口に含んだときにちゃんと苦くて変に安心する。
元々コーヒーにお湯をそそいだときのふわりと空気を巻き込むような匂いが好きで、それなのに飲めなかったもどかしさが蓄積してたから、その反動もあって。
でもちょびちょび盗み飲みするように飲んでたら当たり前だけど冷める。冷めたら全然美味しくなくて。
だらだらとゴールも決めず文字を打つ。
意味不明で、文章としての美しさは一切無視した滑稽な文章でよければいくらでもかきつづけることができるような気がする。
あー部屋が汚い、明日片付けようって思ってから一体何ヶ月経つんだろう、永遠にこない明日はいつくるんだろうとか。
なんかかっこいいこといいたいなぁなんて漠然と思ってるかっこ悪さ。
なんだか秋の夜は居心地が悪い。
10代がもう終わる。
10代が人生の全てじゃないけど。
色んなことに期待して、色んなことに絶望して、もう二度と思い出さないような些細なことの連続で。
なにに苦しんでるのか途中からわからなくなって。もがいて泳いでるときよりも、安心ってずっと楽だけど、いつのまにか知らないところに自分を運んでる船みたいで。
もう全然自分が正しくなくて。
感情を殺すのがうまくなって、心の雨は冷たくなる一方。
物分かりがいいのは自分のためなんだという物分かりの良さはとうとうなんの武器にもならなかった。
沈黙は無音で、静寂は気配。
誰にも特別好かれてないなんて今に始まったことじゃない。それなのに、心の薄青い水面をゆらす。
今が懐かしい感覚で、私はずっと未来で自分を待ってる。
忘却は最大の復讐なら、私は一体なにに復讐して生きてるんだろう。忘れることは許すことっていう人もいるし、もうわからなかった。
さみしさで狂うくらいなら切なさで壊れたい。
強くならなきゃと言いながら崩れる弱さだ、幸せになろうとしてたのにいつのまにか幸せに見せようと四苦八苦してた
怖い、という感情がなにかを失うときの信号なら、私はあまりにも色々なものを持ちすぎてる。
そう思ってあけたカバンの中身は空っぽで、一体なにに怯えてたんだろうと悲しくなりたい。
やっぱ2時とか3時にかく文章はグダグダだな