私を否定する街にいく。

電車に揺られて、半年ぶりのバスにのる。ああ全然久しぶりな感じがしないな、とおもって乗り込んだバスで行き先の名前をど忘れしていることに気づく。

こうやって、忘れたことすら忘れたことがたくさんあるんだろうなぁ、私の「今」を構成するものすべてをいつか全部、完全に忘れたら、今は一体本当に過去なのだろうか。消えたものはどこにいくんだろう。

 

夜、窓際で適当に文字を並べてるときにふと誰かのいたずらみたいに風にのって好きな人の匂いがして、大好きな匂いのはずなのに、切なさに染まりきった気持ちがもうすぐ抜ける子供の歯みたいに誰にも気付かれずぐらつく。

 

このまま学校にいっても、退屈で寂しいなぁと思う。学校をやめても、退屈で、さみしいなぁと思う。死ぬのもきっと、退屈で、さみしいんだろうなぁと思う。

 

「これ、一体どこで間違えたんですかねぇ」と、ごちゃごちゃに絡まって修復不可能のスズランテープをいじってた昨日の言葉はまるで私たちのことをいってるみたいだなぁと勝手にひとり高揚して、それにあの人は気付かず、いや、気付いてたのかもしれないけど、「もうこれ切るしかないんじゃない?」と無理やりひっぱって、でも、全然切れなくて、あっこうすれば切らなくて大丈夫ですって上手にくぐらせて、結果切らずにはすんだけど原型をとどめないくらいヨレヨレになったスズランテープ、あの後どうしたかもう忘れちゃったな。

 

投げやりになってるわけじゃない、やけくそになってるわけじゃない、でももうなににも期待してないような気がするし、期待してないと思ってる時点でなにかに期待しているようなきもする。

 

誰かの生活の端くれになって生きていくのも悪くないか、なんて傲慢なことを思う自分という人間の本質が本当にわからなくて、手探りしようも、そもそもなにを探ればいいのか、手がどこなのか、もうそれすらもわからなくなってしまう。

 

わからないことをわからない子供から、わかったふりをし続ける弱さをもつ強さをもたなければいけない大人にならなければいけなくなる。

 

もう今のこのくだらない気持ちすら忘れてしまうんだろうな、歳をとると価値のないものですら失うのが怖くなるなんていうけど、私まだ全然歳とってないのに怖いよ、それがまた怖いよ、