絵や文章を書き殴ってるときが落ち着く。

 

いつもほぼ毎日携帯のメモ帳やカレンダーアプリのメモ帳にかくけど、見られたら嫌だな。一番嫌だな。

 

宇宙の形がなんなのかわかんない。でも多分球状だと思う。

地球は球だし、

月も。

 

人間は多分鏡状の球で、「その人が見えてる私のこの面はあの人には見えてなくてあの人に見えてるこの面はその人には見えてない」みたいに、誰かにまるっと全部見せることって不可能なんじゃないかって思う。

でもいつもまわりの鏡で。でも鏡でうつしてるのもまた鏡で。

 

性欲。子孫繁栄のために生きるなんてきいたことあるけど本当にそうなのだろうか。結局人は「自分をインストールしてくれるなにか」を探しながら「インストールできるなにか」のオリジナリティを高めたいから葛藤するのではないか。

 

自分を空っぽにしたい、という欲。

真っ黒で。

真っ白。

 

結局人に与えたものしか自分じゃない。

でも自分は与えられた他人のなにかでしかできてない。

 

完全な、いびつな球状。

人に与えない秘密が私を生かす。与えるものが私なのに。

 

何億年をへて両親から生まれ、たったの数十年で死んで、そこからまた概念として表せないくらい膨大な時間が流れていく。宇宙からしたらコンマ何秒。神様なんていないよ、きっと。

永遠と錯覚するような一瞬の人生の中の、本当の一瞬の中に自分の永遠を見出して、ポケットにいれておく。

 

この世界は自分だけしかいない。もしくは、自分以外しかいない。

 

なにかいてんだ自分…

 

 

 

たまに心に直径数センチの完全な穴があいて、そこを風が通るたびに古い建物みたいにきしんで少し痛む感覚があるのがすごくさみしくて独特なつらさが好きで、でもそれって「みんなある」ことで、「みんなある」なことが嫌な自分が嫌で、私、いつだって誰かの満員電車の乗客だから、せめて絶望だけは私の色でいてほしい。

 

みーんなひとりぼっちで、でもみんなひとりであることに関していえば誰もひとりじゃない。みんな同じ。

テレビつければこれみよがしに正義振りかざす中年のおじさんコメンテーター、なんで生きてるんだろう。

 

こうしん。

 

更新だ、生きるというのは。行進だ、まわりに合わせるし。交信だ、コミュニケーションとるからね。口唇は、んー、ちゅーするから、ってこれは無理やりか。

 

なんで生きてるんだろう、って、これは哲学とか大それた悩みとかそういうんじゃなくて、あれだ、情動語?だ。

猫はにゃー、犬はわん、人間は「ナンデイキテルンダロウ」なんだ、多分。いや、ないか笑

 

退屈。幸せ。なにもないけど。

 

この前みた映画「リリイシュシュのすべて」の青い閉塞感がなんとも最高だった。あの後味の悪さ。と、同時にある爽やかさ。吐き捨てられたミントのガムみたいに。

 

それをみて思い出した、おやすみプンプン

っていう漫画もすごく好きで、漫画は一冊ももってないし買うとは思わなかったけど全巻揃えたいなぁと思ってる。登場人物も世界観も大好きなんだけど、特に主人公のお母さんが好き。不器用で、繊細で、どうしようもなく不安定で。孤独とか虚無感とか絶望とか切なさとか、花火にしたらどんな色なんだろう。

 

クリープハイプのヴォーカルがかいた本もそういえばこの類で好き。クリープハイプのヴォーカルの声、すごく好き。

 

みんなの神様的な絶対的なものってなんなんだろう。

真夏、はしゃいでホースで水を出した時にみえる虹を掴んだ、あの感触。触れられないのだ。きっとずっと。

 

完璧な遺書を残して死にたい。

死んだ後に、悔やまれるような…死んではじめて生きるような、そんな文章をまとめるんだ。

切り口は、そうだ、実は死んでしまった。とかにしよう。実は、といいながら周知の事実。シュールで、拍子抜けするだろう。
そして、死んだ理由。正直これは適当でいい。なぜなら、いついかなる理由があろうとも、それが「死んでいい理由」には、絶対に、ならないからだ。
テレビがつまらなくて、チャンネルの変え方も知らずに番組開始数分でバチンとテレビを消す感覚で死んだとでも書いておこう。曖昧でいいんだ、こういうのは。
もしくは、見たくない番組がやっていたから消したとでも書いておこう。逃げたつもりが、戻ってこれなくなったと。逃げたつもりが、死人を後追いしてしまった。逃げてんのか、追ってんのか、わからない。ははは、とでも書いておけばいいだろう。遺書でウケを狙っても、どんなに面白くても、滑る。人間は、不謹慎なときに笑わない生き物なのだ。

その後は、感謝と、謝罪を適度に書いておこう。地球あたりに住んでる人間っぽいやつ全員と、そこらへんの草木と、発達した機械にアリガトーというんだ。あとはゴメンねって、これは死んだときにショックに思う人たち向け。ソーリー、である。

19年間で得たものは沢山あった。失ったものは一つもなかった。色んなものを持ちすぎたのだ。荷物が多すぎて、目的地に着くまでに観光ツアーをリタイヤしてしまった。

死んだら、私は1週間くらいで色んな人間から忘れられるだろう。
まあ、1週間くらいで覚えられたような人間だから、当たり前だ。

(´・ω・)(´・ω・)(´・ω・)

ひまだー!!!!!!!

18からおもってるけどもう人生いいや。
さみしさとか息苦しさとかもう全部全部丸めてポイだ。
自殺は親不孝?
事故がいいかな。事故なんてそうそう起きないよ。
電車かなんかで人質に囚われて、ピストルかなにかで、一瞬で殺されないかな。私の能天気な発言がキチガイみたいなやつの怒りに触れてさ。
「19歳 女学生の謎の発言『柿ピーの後ろ足にエリンギ』が犯人を逆上させ 殺害に 」みたいな、うん。もう生きるの疲れた!!

 

、、と、いう日記というかメモがカレンダーアプリからでてきた。日付は2月22日。

 

たしかに絶対に不幸ではない、でも、たしかに(主観的に)苦痛な日々は私を安心させる。

ダメだってわかっていても、なにものってないカートがかしゃんかしゃんと音をたてて下っていくのを走って追いかけられない。

 

(なにかいてんだ自分)

 

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

 

最低のゴールデンウィークの幕上げだ。

 

バイトに落ちた、という旨のモーニングコールで目覚め、ゴールデンウィーク初日、私のぼろぼろの幕が上がった。

 

1人で応募した住み込みの温泉地リゾートバイトに今年のゴールデンウィークと私の若さの全てを捧げるつもりだったが、あっけなく失恋してしまった。

 

旅にいくにはお金も時間もないし、親の了承も得られないだろうし、計画性もない、けど、違う世界をみてみたい、少し、自己満足でいいから遠くにいきたい、でも心配はかけたくない、という私にとっては最高の条件だったのだが、やっぱり神様がまだはやいと思ったみたいだ。

 

電話にきちんと感謝の意を伝え丁寧にきって、日中をだらりと過ごして、家族分の夜ご飯をつくってバイトにでかけた。

 

帰りに、生まれて初めて人間に目を奪われて、ああ一目惚れってこれのもっと酷いやつなんだろうなと思った。

その人はくったくたの白いTシャツにジーンズをはいた40代くらいの男の人で、タバコを吸いながら夜空をあおぎみて適当に歩いていて、それはそれは素敵で、ここ最近みた情景で一番好きだった。春の夜に免じて、変な人を装って変な風に話しかけて困らせれば良かった。うそ。でも、最高のゴールデンウィークの幕上げだ。

去年の5月病を引きずったまま、今年も5月に突入しようとしている。

 

現実は甘くない、なんていうけど、ちょっと味覚オンチすぎて甘いとかわかんない。

 

楽しいことだけに飛びついていきたいよ、

辛いことも悲しいこともあっちからくるんだからってYUKIもいってたらしいし。

 

けれど、疲れれば疲れるほど人間は「ゆるせない」と思いがちになる習性だときいたことがあるし、その通りだと思う。

役に立たなきゃゆるせない、疲れなきゃゆるせない、頑張らなきゃゆるせない…

 

きっと必要なのは許さないことでも許すことでもなく、許される苦しみを知ることなんだ

 

といいつつも、許さない力を反動にできる人は強いんだろう。許す人も強いんだろう。

 

無秩序な文章になってしまった。

 

昨日の悪いことを10年前のように話せる余裕と、10年前の良いことを昨日のことのように話せる無邪気さを持ち合わせた大人になりたい 。

 

親のいいなりにはならずに、でも親孝行に生きていきたい。

 

世界は広いって身をもって知りたいし、こんなに世界は広いけど、自分はこの狭い世界にいたいと思える世界をみつけたい。

 

一瞬一瞬を永遠に繋げて、そんな永遠が一瞬で過ぎるんだ。

 

なんて、ほざいてる私にとっての「大人」って架空の生き物で、いつか自分はなるけど、遠い遠い未来のことだと思ってた。

 

あと1年で正式に大人になると思うと不思議。というか今ですら大人に片足つっこんでるというか、子供最年長というか、子供と大人のハーフだけど。

 

どんなに大人になっても心に少しの青い狂気を秘めていたい。そう思ってしまうのはきっとまだ子供だからだ。