完璧な遺書を残して死にたい。

死んだ後に、悔やまれるような…死んではじめて生きるような、そんな文章をまとめるんだ。

切り口は、そうだ、実は死んでしまった。とかにしよう。実は、といいながら周知の事実。シュールで、拍子抜けするだろう。
そして、死んだ理由。正直これは適当でいい。なぜなら、いついかなる理由があろうとも、それが「死んでいい理由」には、絶対に、ならないからだ。
テレビがつまらなくて、チャンネルの変え方も知らずに番組開始数分でバチンとテレビを消す感覚で死んだとでも書いておこう。曖昧でいいんだ、こういうのは。
もしくは、見たくない番組がやっていたから消したとでも書いておこう。逃げたつもりが、戻ってこれなくなったと。逃げたつもりが、死人を後追いしてしまった。逃げてんのか、追ってんのか、わからない。ははは、とでも書いておけばいいだろう。遺書でウケを狙っても、どんなに面白くても、滑る。人間は、不謹慎なときに笑わない生き物なのだ。

その後は、感謝と、謝罪を適度に書いておこう。地球あたりに住んでる人間っぽいやつ全員と、そこらへんの草木と、発達した機械にアリガトーというんだ。あとはゴメンねって、これは死んだときにショックに思う人たち向け。ソーリー、である。

19年間で得たものは沢山あった。失ったものは一つもなかった。色んなものを持ちすぎたのだ。荷物が多すぎて、目的地に着くまでに観光ツアーをリタイヤしてしまった。

死んだら、私は1週間くらいで色んな人間から忘れられるだろう。
まあ、1週間くらいで覚えられたような人間だから、当たり前だ。

(´・ω・)(´・ω・)(´・ω・)

ひまだー!!!!!!!

18からおもってるけどもう人生いいや。
さみしさとか息苦しさとかもう全部全部丸めてポイだ。
自殺は親不孝?
事故がいいかな。事故なんてそうそう起きないよ。
電車かなんかで人質に囚われて、ピストルかなにかで、一瞬で殺されないかな。私の能天気な発言がキチガイみたいなやつの怒りに触れてさ。
「19歳 女学生の謎の発言『柿ピーの後ろ足にエリンギ』が犯人を逆上させ 殺害に 」みたいな、うん。もう生きるの疲れた!!

 

、、と、いう日記というかメモがカレンダーアプリからでてきた。日付は2月22日。

 

たしかに絶対に不幸ではない、でも、たしかに(主観的に)苦痛な日々は私を安心させる。

ダメだってわかっていても、なにものってないカートがかしゃんかしゃんと音をたてて下っていくのを走って追いかけられない。

 

(なにかいてんだ自分)

 

バイトで疲れて適当にかいたからといって、さっきの自分の文章が意味不明すぎて自分で驚いてる。

文体がその人を表すってあながち嘘じゃないなと思う。

 

でもそういう頭おかしいやつほどあとで読み返すと(頭おかしいなぁ…)となって楽しいのでまぁいいや。

 

5月、特に予定がない。ゴールデンウィークも毎日バイトだし。メッセージっていうSF映画を観たいのと、(自称)2061年からきた人工知能の個展がやるらしいので時間があったら行きたいなと思う。

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

 

最低のゴールデンウィークの幕上げだ。

 

バイトに落ちた、という旨のモーニングコールで目覚め、ゴールデンウィーク初日、私のぼろぼろの幕が上がった。

 

1人で応募した住み込みの温泉地リゾートバイトに今年のゴールデンウィークと私の若さの全てを捧げるつもりだったが、あっけなく失恋してしまった。

 

旅にいくにはお金も時間もないし、親の了承も得られないだろうし、計画性もない、けど、違う世界をみてみたい、少し、自己満足でいいから遠くにいきたい、でも心配はかけたくない、という私にとっては最高の条件だったのだが、やっぱり神様がまだはやいと思ったみたいだ。

 

電話にきちんと感謝の意を伝え丁寧にきって、日中をだらりと過ごして、家族分の夜ご飯をつくってバイトにでかけた。

 

帰りに、生まれて初めて人間に目を奪われて、ああ一目惚れってこれのもっと酷いやつなんだろうなと思った。

その人はくったくたの白いTシャツにジーンズをはいた40代くらいの男の人で、タバコを吸いながら夜空をあおぎみて適当に歩いていて、それはそれは素敵で、ここ最近みた情景で一番好きだった。春の夜に免じて、変な人を装って変な風に話しかけて困らせれば良かった。うそ。でも、最高のゴールデンウィークの幕上げだ。

去年の5月病を引きずったまま、今年も5月に突入しようとしている。

 

現実は甘くない、なんていうけど、ちょっと味覚オンチすぎて甘いとかわかんない。

 

楽しいことだけに飛びついていきたいよ、

辛いことも悲しいこともあっちからくるんだからってYUKIもいってたらしいし。

 

けれど、疲れれば疲れるほど人間は「ゆるせない」と思いがちになる習性だときいたことがあるし、その通りだと思う。

役に立たなきゃゆるせない、疲れなきゃゆるせない、頑張らなきゃゆるせない…

 

きっと必要なのは許さないことでも許すことでもなく、許される苦しみを知ることなんだ

 

といいつつも、許さない力を反動にできる人は強いんだろう。許す人も強いんだろう。

 

無秩序な文章になってしまった。

 

昨日の悪いことを10年前のように話せる余裕と、10年前の良いことを昨日のことのように話せる無邪気さを持ち合わせた大人になりたい 。

 

親のいいなりにはならずに、でも親孝行に生きていきたい。

 

世界は広いって身をもって知りたいし、こんなに世界は広いけど、自分はこの狭い世界にいたいと思える世界をみつけたい。

 

一瞬一瞬を永遠に繋げて、そんな永遠が一瞬で過ぎるんだ。

 

なんて、ほざいてる私にとっての「大人」って架空の生き物で、いつか自分はなるけど、遠い遠い未来のことだと思ってた。

 

あと1年で正式に大人になると思うと不思議。というか今ですら大人に片足つっこんでるというか、子供最年長というか、子供と大人のハーフだけど。

 

どんなに大人になっても心に少しの青い狂気を秘めていたい。そう思ってしまうのはきっとまだ子供だからだ。

外に一人でいると、猛烈に文章をかきたくなるけれど、外にいるとなんだか気恥ずかしくて文章なんて書けない。

 電車の中でなるべくラインは返したくない、特に大切な人やじっくり文章を考えて返信したいときは絶対に降りてから返信するか、画面の明るさを最大限暗くして返す。

自意識過剰なのだろうか、誰も私の携帯の画面なんて見てないのはわかっているんだ。

けれど、無言でいながらなにを考えてるのか見透かされている感じがどうしても嫌で、外で文字を打つことはほとんど無い。

 

そして家について携帯をひらくと、さっきまで文章にしたかったことが、まるで両手ですくい上げた砂浜の砂のように指の間からするすると抜けて、さっきまでの自分がなにを考えていたのかわからなくなる。

 

でも、平日の昼間、東京で思い浮かぶことなんてきっとどうせ他愛もないことだ。

 

 

今週のお題「部活動」

 

と、いう文字をたまたまみたときに19の私には思い出す出来事があまりにも多すぎた。

 

 ただの気分で数時間前にブログを登録し、気分でお題を開いたときに、

まさに今こうやって拙い文章を並べてる理由が「部活」にあって、それを自分は自分のために文字に起こすべきなんだなと勝手に運命に近いものを感じ

日曜の深夜という人類が1番夜更かしをしてはいけないタイミングで文字を打ちはじめていく。

 

 私はバスケが嫌いだったのに、バスケ部だった。

自分ではこれは罰だと思っている。なんの罰かというと母親を困らせた罰だ。

 

私には10歳下の可愛い可愛い弟がいて、つまり私が10歳だったときにそいつは地球デビューした。

小学4年生の私にかまってくれる大人はいなくなり、当たり前だった母親との日常がガラッと変わった。

 

そんなさみしいときに教室で楽しそうにわいわい話していた女の子たちがたまたま「ミニバス集団」だった。私は自信に溢れるように見えた彼女たちに憧れ、そこに属したい、と強く思った。そしてミニバスの体験にいった。

 

ミニバスケットボールは、いわば小学校の無料の部活のようなものだった。

ボランティアのコーチと、所属してる子の母親が当番制で体育館にきて見守りをしてくれて、たまーに卒業した先輩がきていた。練習はほぼ毎日あったとおもう。

 

正直体験はあまり楽しくなかった記憶がある。

でも、憧れていた友達の輪の中にいれてもらえて「絶対に一緒にやろう!」と言われたことが嬉しすぎて、弟を抱っこしていた母親に「ミニバスやりたい」と伝えた。

 

未だに言ったときのことを覚えている。母親は疲れきった顔で、当番制も毎日の練習も嫌だからダメ、と言った。それでも、代案なき否定を禁ず精神があったのか、それとも放置しすぎてかわいそうだから習い事のひとつでもさせてあげようと思ったのか、

「高いけど、ちゃんとしたところでダンス習わせてあげるよ」と言ってくれた。

 

ものすごく魅力的だった。私はバスケよりもダンスの方が好きだったし、なによりそんな良いところで習い事ができることが素敵だった。

 

今考えればどっちを選ぶかなんてわかりきっているのに、当時の私は母親のお金よりも時間をかけてほしかった。

自分をみてほしかった。だからバカみたいに粘った。それに、困らせていることが少し嬉しかったのだろう、私はそのときの私の全てをつくして頼み込んだ。

そして、しぶしぶ了承を得てミニバスをはじめた。

 

父親は単身赴任の中、1人で産後間もない体で育児家事に追われ疲労困ぱいの母親を当番やら母親同士の派閥やらにぶっこんでしまい、相当しんどい思いをさせてしまった。

もう、そのしんどさたるや想像を絶するとおもう。こんなところに書いたって仕方ないのだが、本当に本当に、本当に申し訳なかった。

 

今の生活はあの選択の償いのような気がする。10年前の意地が19になった今を、ものすごく苦しいものにしている。

 

私は結局全く好きになれないままバスケを続けた。偶然私の代に強い子がたくさん集まって、私は全くといっていいほど試合に出れなかった。

 

そんなこんなで小学校を卒業して中学に入学した。私が他の人よりできるスポーツがバスケしかなかったし、ミニバスの友達はみんなバスケ部に入ったのでそのままバスケ部に入部した。

それでも下手くそで、またしても私の代だけものすごく強くて人数が多かったのでまたしても全く試合に出れなかった。

怪我を繰り返し、ちょっとした痛みですぐ部活を休んだ。

中2頃に骨折して膨大な医療費をかけてもらいながら部活を見学した。

その間に元々私よりも上手な同級生が目の前でどんどん上達していった。

私は松葉杖をついて毎日の朝練と放課後の練習と土日の練習にいった。

 

思えば辞めれば良かったのだが、所属に依存する自信のなさだった自分に辞めるという選択肢はなかった。部活がひたすら嫌だった。

 

そして引退試合は、補欠はおろかベンチにも座れなかった。関東大会まで行ったので、選手の登録が15人までだったのだ。遠い床の上で走り回ってる同級生と後輩を見ながら、適当に手を叩いていた。虚無感とも焦燥感とも違う、退屈と罪悪感におそわれていた。ひたすら負けろ、負けろと願っていた。みじめだった。

 

顧問の先生には怒られることはあれど、大した褒められなかった。私は下手くその役立たずだったので少しでも存在感を出したかったのか、マネージャー的なポジションについた。テーピングはここでうまくなったし、先生にお茶を出したりしていた。

罪悪感と承認欲がそうさせていただけなのだが、ある日の試合終わりのミーティングで、顧問がお菓子をいくつか手にもってきた。「今日優秀なプレーをしたやつに渡していく」と言いながら、キャプテンやその日シュートを決めた選手に渡していた。試合すらでてない私は他人事すぎて適当に拍手をしていたのだが、最後に私が呼ばれて、私含め全員が驚いた。

「気が利いていたから」そういって渡された手のひらサイズのお菓子はなにか特別なキラキラしたお宝のように思えた。みんなが拍手してくれて、それが私の記憶にある最後の「賞賛」だった。

 

今思えば、もう優秀な選手がいなかったのかもしれないし、あまりにも試合に出れない私を不憫に思ったのかもしれない。

それでも心から嬉しかった。

それまで卑屈にならざるを得なかった私はこの日、大人に認められる蜜の甘さを知ってしまい、ここから私は常にまわりの大人の期待にそえるような人生を送ってしまう。

 

私は、親に褒められることだけをしたかった。進路も、考え方も、友達も、親が喜ぶかどうかをものさしに選んでいった。親が喜ぶ風にその日の出来事を着色した。 

 

結果、私は好きでもない、自分に全く向かない進路に進んでしまった。

 

後悔はしていないし、誰のせいでもない。でも、私はもっと自分を信じる強さをもつべきだったのかもしれない。

 

部活ときいて思い出す出来事は、運動のできない自分と、苦虫を噛み潰したような卑屈さと、部活をさせてくれたのに楽しめなかったことに対しての罪悪感と、自分のどうしようもない弱さだ。

 

こうして思ったままを文章に起こしてみると予想以上の暗さにびっくりしてしまった。